同じ人間だもの。の巻
令和元年になりました。
平成に生まれ、平成を生きてきました。
自由が利かない子ども時代は本当に長く感じ、今でも何歳の時は…と、感じていたこと、情景を思い出すことができます。
早く大人になって自由が欲しいと思い働き始めると、「平成なの!?」と驚かれ、「ゆとり世代じゃん!」と言われ、昭和と平成の差は何か疑問に思っていました。
昭和でも、平成でもいいじゃないか、同じ人間だもの。
私は、いつの時代の人も尊敬できる人間でありたいと思います。
差別について、スーダンへ派遣されてからよく考えるようになりました。
外へ出かけると、「チャイナ」「チンチョンチャン」と言われる。
「ニーハオ」なら挨拶だからまだ良い。
嫌だと思うのは、自分を理解してくれていないこと、からかっていることが分かるからだと思います。
けれど、もう一つ、私自身、中国人に見られたくないという気持ち(マイナスなイメージ)があるからだと思いました。
スーダンには、中国の鉄道が主流で、中国人が運営管理しています。
何度か電車を使う機会があったので、中国人と関わる機会がありましたが、スーダンに来てからは特に、同じアジア人=仲間と思えるようになりました。
数少ないアジア人であると言うことと、中華料理を御馳走してもらったり、電車で親切にしてくれたりと、今までの中国のイメージが少しずつ変わっていくような感じでした。
なので、今、中国に対するマイナスなイメージを聞くと、とても悲しい気持ちになります。
きっとスーダンの人達もそうだと思います。
関わったことのある国の人のイメージがその国のイメージになってしまう。
マイナスなイメージを与えてしまえば、もう次に会う人のイメージは最初からマイナス。
けれど、良いイメージがあれば、その他の物や事も良いイメージになると思っています。
だから、日本という国のイメージが良いように努めれば、日本のためにならないなと、ここに来てやっと実感しています。
ニーハオと言われても仕方ないなと思うけれど、日本という国をその機会に伝えたい。
逆に、私たちが外国人と接する時に、ヨーロッパ人、アフリカ人、南米人などと一括りにしてはならない。
来年2020年(令和2年)はオリンピック。
世界中の国が日本に集まる年に、各国の理解を日本人それぞれが意識していけたらもっと素敵で平和な国になると思っています。