スーダンスタイルお葬式の巻
活動をしていると、ふいにお葬式に参加することがよくあります。
職場の人の誰か親戚が亡くなると、同僚みんなでかけつけ、お悔やみをするそうで、
帰ろうと思い、いつも通り職員送迎バスに乗っていると、知らないところに連れて行かれ、「お葬式だよ。」と。
わたし「え~~~どなたの親戚の??」
名前を聞いてもわからないくらいの人だったりするので、申し訳ないけれど、もう本当にどなたのお葬式か分からず参列。
お宅へ行くと、たくさんの家族やお手伝いさんが一生懸命参列者への御馳走の準備をしていました。
ここでも、男性と女性の部屋は分かれていて、一切男性と話す機会はありません。
奥の部屋に行くと、悲しそうにしている家族、その周りに参列者が囲み、悔やんでいました。
職場の同僚は、順番に家族へお悔やみの言葉と、天へ召されたという意味なのか、お互い両手を上へ向け、軽く広げるポーズをしていました。
わたしはムスリムではないので、お悔やみの言葉だけを言って、しばらくそこに。
人が亡くなることの悲しみがどれほど辛いか、気持ちはすごく分かります。
家族を何よりも大切にしているスーダンの人達は尚更そう思います。
わたしのカウンターパートも去年、お父さんを亡くしました。
活動中、お父さんの看病で欠席したり遅れてくることが何度もあったのですが、どのくらいの病状なのか詳しく知りませんでした。
だから亡くなったと聞いたときは、ショックだったのと、もっと気持ちを察してあげられていたらと後悔しました。
お父さんが大変な中、それでも私を気遣って来てくれていたカウンターパートの気持ちを思うと。。
スーダンでは誰か親戚が亡くなると、その後数か月は挨拶などの対応でお休みするそうで、カウンターパートは1か月後復帰してきました。
わたしだったら、1か月じゃ立ち直れないなと思いながら、いつも通り接してくれる姿に尊敬しました。
スーダンの人達は兄弟姉妹が多かったり、親戚同士で結婚したり、自然と家族が大きくなる分、必然的に出産祝いもお葬式も多くなるんですね。
ちなみに、スーダンは土葬です。
以前、同僚とその話になった時に「日本は火葬だよ。」と言ったら、ものすごく引かれました。
え~~~文化の違い!
魂がいつでも帰れるように、体は残すのだそうです。
なるほど。
人が亡くなるのは悲しいけれど、これが「生きる」ってことなんだなと考えさせらています。